灘校鉄道研究部公式ブログ

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1.夏期取材旅行の記録 Vol.17:六日目[北越急行班] 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】

日目 31

北越急行

 鉄研旅行最終日、私は3時半ごろに床につき5時半ごろに起きた。特に眠くて仕方のない、ということもない。一つ言うとすれば他人の部屋で寝たせいで掛け布団がなく、少し風邪を引きかけたことだった。

 

 朝の準備を終え予定の7時を約10分遅れて宿を出発。2日目の朝に通ったのと同じ道を歩き長岡駅へ。長岡は城下町なので道が碁盤の目のようになっているのだが、東側の川と違い西側の川は直線的に整備されておらず、南北方向に伸びる道もその川で絶たれているので碁盤の目状の道が広がる地域はそう広くないわけだ。

 16分ほど歩いた後長岡駅に到着、大糸線班とここでお別れ。北越急行班は新幹線ホームへと向かう。13分ほどホーム上で待ち、Maxとき306号が入線。自分を含めた撮り鉄達が写真を撮り、車内へ乗り込む。

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 Maxときに運用されているE4系新幹線は1997年にデビューした2階建て型の車両である。キャパシティーは2階建てになっている分大きいが、その代わりコンセントがなく椅子を回転することができないので、完全にキャパシティーに利点を振っているな、と感じた。私は2階部分の方が景色がいいかなと思い2階部分に腰を下ろしたのだが、もともと高架化されているのであまり恩恵を受けることはできなかった。むしろ1階部分の方がホームすれすれの窓からホームを見ることができるのでその方が面白かったのかな、とにわかに後悔したのだった。

 前日コンビニで購入した玉子蒸しパンを食べながら車窓を楽しむ。停車駅の浦佐を出ると八海山が見え、その濃い緑色の山肌が実に美しく、自分がこの国に生まれたことを改めて嬉しく思ったのだった。

Maxときを越後湯沢駅で下車。改札に向けて移動しようとしたのだが、なんとノコギリスズメと呼ばれるスズメガの一種がホームのアスファルト上に産卵していたのだ。ちなみにこのスズメガの名前は生物研究部の先輩に教えていただきました。ありがとうございます。ちょうど私はカイコガを飼育したいな、と思っておりその思いがより強くなったものだ。カイコガは可愛いぞ!!!! 産卵鑑賞会の後、約50分間の自由時間になった。私は駅舎をパシャパシャ撮った後、近くを歩いていた鉄研部員の集団について行った。越後湯沢の個人的な感想を述べさせてもらうと、まず1つに、ちょうどいい感じ(語彙力)の坂がたくさん見受けられ、いい感じの写真をたくさん撮れて嬉しかったということだ。越後湯沢は標高約350mに位置しており非常に涼しかった。また、著名な温泉地であり、宿泊客を主にターゲットとした温泉旅館がたくさん建っていた。鉄研部員一行はたまたま見つけた足湯に入浴。私は個人的に外湯や足湯が苦手なので入らなかったが、他のみんなは楽しんでいたようだった。そう、温泉旅館の表に設置してあったフクロウの石の置物が可愛かった。欲しい。

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 50分の休憩時間を終え一行は越後湯沢駅上越線ホームに向かった。ホームには既に超快速スノーラビットが停車していた。HK100はラッピングが施されており三セクらしい頑張りが見えた。

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 「超快速スノーラビット」とは、2015年の北陸新幹線開業に伴って廃止された特急はくたかの後継列車として運行を開始した快速列車である。東京駅から直江津駅上越市)に行く際、北陸新幹線えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの各停を乗り継ぐ場合より、上越新幹線とスノラビを使う方が乗車時間にして5~15分程度早く、料金にして1120円も安い。このことを大きなセールスポイントにしている列車である。スノラビは魚津までの途中停車駅が六日町、十日町、まつだい、虫川大杉だが、六日町を出ると北越急行ほくほく線に直結している。実際に地図を見てもらえればよくわかるのだが、ほくほく線は基本、各停車駅が直線的につながっており、六日町―犀潟間の速達性を非常に重視した路線になっている。場所によってはローカル線にもかかわらず90km/hを出しているところもあった。そのおかげで越後湯沢―直江津間はたったの60分しかかからない。こんなにトンネルをぶち抜きまくっている路線も珍しいだろう。北越急行ほくほく線の開業についても面白いのだが、ここでは割愛するので興味があれば是非調べてみてはいかがだろうか。トンネルをいくつも抜けると平野が広がっており、田園風景が美しかった。また、松か杉か、木の苗が植えられている場所突然現れたが、何故だろうか。とても気になった。

 直江津駅では約20分間の休憩時間。改札の外に出ると縦60cm、横360cm程の水槽が目に飛び込んできた。近づいて見てみるとカクレクマノミを初めとした熱帯魚がたくさん展示、飼育されていた。ちゃんと手入れが行き届いているのか、壁面も底砂も非常にきれいだった。ほとんど有名で見たことのある魚だったのだが、見たことがなかったのは「マンジュウイシモチ」という茶色っぽい地味な魚で、目がとても大きい。人間によって品種改良された魚かな、と思ったが、日本の石垣島なんかにもいる魚らしい。

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マンジュウイシモチ

 直江津のNew Daysで笹団子を買い、改札内へ。直江津駅の時点で海は見えなかったが、次の駅の谷浜駅につく頃には日本海を望めた。リゾートしらかみに乗り五能線を走っていたときは海岸から約20mは海が濁っていたのだが、このあたりでは海岸から約2mが汚れている、という程度だった。一昨日は大雨が降った後だったからな仕方なかったんだな、これが真の日本海の姿か、と思いながら私は笹団子を食した。新潟名物の笹団子はヨモギを混ぜ込んだ生地に粒あんを包んだものである。「笹餅」ではなく「笹団子」であることからわかるように、もちもちしているというわけではなく非常にやわらかく美味しかった。ちなみに私はこしあんより粒あん派である。

 えちごトキめき鉄道の有名な駅といえば筒石駅である。筒石駅は当初地上にホームがあったのだが、1969年に全長11353mの頸城トンネルが開通し、地上駅舎が移転し、そこから垂直距離にして40m、移動距離にして約200m離れたところにホームが設置してある。全国的にも珍しい、トンネル内に設置された「モグラ駅」である。停車の際、トンネル内のホームが異様なオーラを放っていた。いつか地上から280段もの階段を下ってみたいものだ。糸魚川駅では20分間の停車時間。やはり大きな駅なのか、乗客が3割ほど入れ替わった気がした。終点の泊に着く直前になり、住宅街の一角に約10m四方の田んぼがいくつか見受けられた。このあたりには「余った土地には稲を植える」という文化があるのだろうか。泊に着くと停車したレールと同じレール上に、接続するあいの風とやま鉄道の普通列車が停まっていた。

 ホームが足りないならホームを増やせばいいのにな、と思ったのだが容易にはできないのだろうか。また、乗る列車は521系というJR神戸線京都線で新快速として運用されている225系電車と非常に似通った電車であり、少し親近感を覚えるとともにゴールにどんどん近づいてきているのだな、と感じた。ちなみに座席は転換クロスシートであり車内の雰囲気も日頃の物とほぼ同じだった。

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 列車は泊駅を出発。自動音声放送が流れ出したが、放送が終わるたびに「ピンポーン」の音(コードでいうB-Gって言えばわかるよね???)が流れ、非常に違和感が演出されていた。また、先ほどのえちごトキめき鉄道とは打って変わって土曜日の12時半過ぎということもあり、学生客が多く、こちらは客不足には困っていなさそうだな、と感じた。そうそう、この辺りにも特殊な方言があるのか、「東富山」のイントネーションが「や」にアクセントが掛かっており、「富山」は平板型になっていた。東北の方言も面白いが、北陸の方言も面白そうだ。列車は富山駅に到着。富山駅では某OB氏に案内されブラックラーメンを食べることに。とても塩味が利いていて少し塩辛かったが、疲れた時に食べるととても美味しいのかな、と思った。

 14時に富山駅に集合。北陸新幹線のつるぎに乗車。実は富山と金沢を結ぶつるぎ(各駅停車)は割とたくさん運行されていている。先ほど出てきた特急はくたかが富山と金沢を結んでいたので、それの後継とも言えるだろう。ちなみに利用客数は少なかったです。

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 約20分後、金沢駅に到着。少し時間があるので駅の外に出る。金沢駅には野外活動の時に訪れたのだが、そのときは鼓門のある東口から出たから西口から出たことがなかったのだが、マジで西口にはなんか変なモニュメントがあるくらいで他には何もないな、と感じた。まぁ金沢のいろんな観光地が東側にあるわけなので仕方ないかな、とは感じた。

金沢駅を定刻の15時19分に出発。3時間経てば無事この旅行は終わるのか、思いつつドボンを始めた。車窓から外を覗くと建設中の金沢―敦賀間の北陸新幹線の高架や、その柱が見えた。個人的には早く京都や米原まで北陸新幹線をつなげて欲しいな、と思うのだが京都か米原、どちらにつながることになるのだろうか。東海道新幹線の容量が足りないから米原は無理だとかなんとか言ってるし。別にサンダーバード好きだし割とどうでもいいんですけど。

そんなことを考えながら加賀温泉駅に停車中、突然車内放送が入った。王子保~武生間で沿線火災が発生し敦賀~福井間の運転が見合わされているとのこと。ここまで順調だった鉄研旅行もとうとう予定が狂うのだな、と少し興奮していたところ、また放送があり、安全が確認されたので運転を再開するとのこと。良かった、と安心したのも束の間、大阪駅には20分ほど遅れて到着するという。このとき同時に大糸線班の特急しなのも3分ほど遅れており、どちらが早く大阪に到着出来るのか、という勝負をしていたところであった。実は当初の予定の時点で大糸線班は名古屋において、僅か7分で特急しなのからひかりに乗り換える必要があった。どちらの班も予定通りの時間に大阪駅に到着すれば、北越急行班は3分差で負けていた。私はドボンを敦賀駅付近までしていたが、ともに遊んでいた同級生が寝るというので私も寝ることにした。次に起きたとき列車は高槻付近を走行しており、10分ほど遅れているとのことだった。もうじき終わる鉄研旅行を回想しながら準備を進め、11分ほど遅れてサンダーバード新大阪駅に到着した。大糸線班の記事を読んでもらえばわかるのだが、結局北越急行班が先に新大阪駅に到着したのだった。

【文責 高校2年 No.7452】