地方鉄道の知恵<第3回・前編>(起稿班研究第三号・その5)
1.はじめに
第2回では様々な施策を行うことで客を集めるひたちなか海浜鉄道を取り上げたが、今回からしばらくは全国各地の地方鉄道それぞれの主力としている施策について考察していきたい。第3回は和歌山電鐵貴志川線をテーマに、かの有名な猫駅長「たま」について見ていく。この前半では貴志川線と「たま」について大まかな経緯を掲載する。
貴志川線は1961(昭和36)年より南海電鉄の手で営業されていた。しかし通勤・通学輸送が伸び悩み、道路が整備されていたため輸送密度が低く赤字を出していた。またターミナルの和歌山駅が南海電鉄の他の路線のターミナル(和歌山市駅)と離れており、貴志川線が孤立していたので、南海電鉄は2005(平成17)年9月をもって撤退することを表明した。和歌山県、和歌山市、貴志川町(現:紀の川市)は路線を残すことに決定し、引き継ぐ会社を公募し、応募のあったなかで唯一の鉄道事業者であった岡山電軌が選ばれ、運営を引き継ぐこととなった。
和歌山電鐵の知名度を引き上げた三毛猫「たま」。現在では和歌山電鐵の代名詞となり、日本だけではなく世界にも紹介されている。宮本勝浩氏によると2007(平成19)年1月から1年間での「たま」によって和歌山県にもたらされた経済波及効果は11億円にものぼるという。そんな和歌山電鐵を支える大きな柱となっている「たま」を追いたい。
「たま」は和歌山電鐵の設立前、すなわち南海電鉄時代から貴志川線の終点・貴志駅の売店で飼われていた。駅前の公道に小屋が置かれそこで飼われていたが、和歌山電鐵に移行する際に貴志川町から撤去を求められた。そのときに取締役社長である小嶋光信氏に駅で飼えないか、と打診したという。彼はその時の発想で「たま」に働いてもらうことを条件として駅で飼うことを認めた。晴れて「たま」が貴志駅の駅長に就任したのである。2007(平成19)年1月のことであった。告知を同社のHPでしたところ、当日には多くの報道関係者が集まった。これが日本中で放送されたのを機に「たま」は知名度を上げ、人気者になった。
和歌山電鐵は初めは「たま」を助けたが、後に「たま」に助けられるようになった。外国人観光客向けのツアーで「たま」訪問が組み込まれたり、フランスの映画に出演したりと海外にもその存在が知られるようになった。和歌山県を代表するシンボルとなり、和歌山県のイメージアップと観光客誘致に貢献したとして和歌山県知事より「功勲爵」を受賞した。
和歌山電鐵内でも「たま」の影響で造られたものがたくさんある。規模の小さいものでは「たま」用の駅長室などがあるが、大きなものとして例えば貴志駅新駅舎、たま電車が挙げられる。貴志駅新駅舎は水戸岡鋭治氏のデザインで猫の顔を模したものとなっており、和歌山県産の檜を用いて檜皮(ひわだ)葺きで建てられた。そして、たま電車は和歌山電鐵が行っている車両リニューアルの第3弾で、101匹の「たま」のイラストがラッピングされた外装になっている。リニューアル費用は「たま電車サポーター」の国内外からの支援により賄われた。「たま」の鳴き声を車内放送に挟む、といった工夫もされている。
ここまで確認したところで、前編はここまで。後編では「猫と鉄道」の関係について考察する。
執筆:No.7105
校正:編集長(No.7005)
後編はこちらです↓
起稿班第三号記事のこれまでの記事はこちらです↓