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地方鉄道の知恵<第2回・前編>(起稿班研究第三号・その3)

 全国各地には多くの地方鉄道が分布しており、その中には経営に苦しんでいるところが少なくない。しかし、地方鉄道の中には地元自治体と協力し、客離れなどへの対策を施すことで好調を維持している鉄道もあ。今回はひたちなか市で営業されている「ひたちなか海浜鉄道」にスポットを当てたいと思う。

 

1.ひたちなか海浜鉄道設立までの経緯

  水運が衰退し鉄道建設の気運が高まったことを受け、1913(大正13)年に湊鉄道によって常磐線勝田駅那珂湊駅間が開通した。後に磯崎、そして現在の終点である阿字ヶ浦まで延伸された。昭和に入ると那珂湊漁港で水揚げした鮮魚の貨物輸送が活発になったが戦争の不況の煽りを受け、1944(昭和19)年に水浜電車、茨城鉄道等と統合して茨城交通となり、湊鉄道は茨城交通湊線となった。

 戦後、阿字ヶ浦海岸の海水浴のレジャー客の輸送、そしてサンマ輸送が増え、貨客ともに最盛期を迎えた。上野駅から湊線に直通して阿字ヶ浦駅まで結ぶ急行「あじがうら」が夏の海水浴シーズンに運行された(1990(平成2)年に廃止)しかし、レジャーの志向が変わったことや港湾の整備が進んだことから海水浴客の利用が減少し、またモータリゼーション化が進行したことが影響して貨物輸送も減退、そして廃止された。赤字転換した湊線はサービスの向上や雑収入、すなわち自動販売機や売店での収入を増やすよう努力し、また地元とのタイアップを重ねて収益を増やそうとした。しかしその甲斐無く、旅客輸送人員は漸減し続け、2008(平成20)茨城交通から分社化された。2008(平成20)年、茨城交通と地元・ひたちなか市が出資する第3セクター「ひたちなか海浜鉄道株式会社」として新たなスタートを切った。

 

2ひたちなか海浜鉄道の施策

  第3セクターとしてリスタートしたひたちなか海浜鉄道は様々な経営努力を重ね、2011(平成23)年には黒字寸前のところまで経営は上向いた。その後、東日本大震災の影響で収入は大きく減ったが、現在持ち直しつつある。そんなひたちなか海浜鉄道の施策で特徴的なものについていくつか見ていきたい。

 

① 定期代の割引

  全国のほとんどの地方鉄道では、高校生の通学定期券が大きな収入源となっており、ひたちなか海浜鉄道もそうである。それ故に高校生の利用客を増やすためには定期券の割引率を上げるべきであろう。定期券が高いと高校生は鉄道ではなく自転車を使ってしまう。ひたちなか海浜鉄道では、通学定期代を従来の約5割引から約7割引に変更した。また養老鉄道などでも採用されている1年間有効の定期券も販売されている。1年間有効の定期券は片道乗車240回分(例えば勝田駅阿字ヶ浦駅間では片道運賃570円なので1年間有効の定期券は570/×240回=136,800)で発売されている。

 

② 列車の増発

  ひたちなか海浜鉄道発足時、湊線内に交換設備のある駅は那珂湊駅のみで、運行間隔を40分以下にすることは不可能であった。混雑する朝ラッシュ時には2両、3両に増結して対応していたが、それでもラッシュ時には運転間隔が40分というのは長いと言わざるを得ない。そこで2010(平成22)年、金上駅に新たに交換設備が建設され、これによりさらなる増発が可能になった。現在は、勝田駅阿字ヶ浦駅間ででおよそ40分ヘッドで運行(上下ともに始発列車・終列車は那珂湊始発及び終着)、そして平日には勝田駅那珂湊駅間の区間列車が朝ラッシュ時間帯に2往復、夕ラッシュ時間帯に3往復運行されており、また那珂湊発の下り(勝田方面)始発列車は平日のみ阿字ヶ浦始発に運転区間が延長される。

 

今回はここまで。後編でも引き続きひたちなか海浜鉄道の施策について取り上げる。

 

執筆:No.7105

校正:編集長(No.7005)

 

後編はこちらです↓

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起稿班第三号記事のこれまでの記事はこちらです↓

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