灘校鉄道研究部公式ブログ

灘中学校・灘高等学校鉄道研究部公式です。ご質問などはコメントにお書きいただくか、nrcofficial@gmail.comまでメールをお願いします。

11.東北道中鐵栗毛 Vol.1:発端~一日目 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】

f:id:nrcofficial:20200504113559p:plain

 発端(はじまり)

 あれこれ考えた挙句題名が迷走してしまいました。弥次さん喜多さんが東北へ行くお話ではありませんので悪しからず。登場人物は部長さん、会計のみやまき君、それにかえる君と僕、いわんぐの4人となっております。夏の東北への鉄研旅行で乗ることができなかった路線や、訪れることのできなかった名所に行きたいなあ、という話が持ち上がり、厳冬、もとい暖冬の東北へ足を運ぶことになりました。

 本文は2日目と4日目の後半②を部長さん、他を僕、いわんぐがお送りいたします。どうも僕にはユーモアのある文章を書く能力がないようで、読んでいて面白くないかもしれません。大阪生まれ大阪育ちなんですがねえ。対して部長さんの文章は面白いです。お楽しみに。最後までお付き合いいただければ幸いです。ではごゆっくりどうぞ。

 

 

 

0日目―大阪~横浜

12月19日、なんと終業式のあったその日に出発です。ヨドバシの上で遅めの晩御飯を食べた我々は、LINKSに併設されているさくら交通のバスターミナルへ向かいます。乗車するのは23時半発の新宿行深夜バス、横浜までのお値段は3640円です。おトク。発車して30分ほどで消灯時刻に。はじめての深夜バスなので眠ることができるか心配でしたが、羊を数える間もなく夢の世界へ旅立ちました。ふと目が覚めるとバスは静岡県を走っています。まもなく遠州森町PAで休憩するよう。大津SAにも止まったはずなんですがね。ぐっすり眠っていたようです。次の休憩は有名な海老名SA。朝ごはんを購入しようと思っていたのですが、ここでもぐっすりしてしまいました。結局、合計6時間は寝たでしょうか。寝坊助本領発揮です。ちなみに部長さんは一睡もできなかったそうで、見るからに疲れておられます。大変ですね。7時ごろ、予定より少し早く横浜駅東口のバス停に到着しました。

 

1日目―横浜~上野~水戸~いわき~富岡~浪江~仙台~山形

早速道を間違えみなとみらいの方へ行きかけますが、みやまき君の軌道修正のおかげで無事横浜駅にたどり着きます。難波の高島屋をよく利用する僕は、横浜駅前にそびえる高島屋を見てどこかほっとします。高島屋を見て安心できるということは新宿へ行っても松山へ行ってもホーチミンへ行っても安心できるということです。なんの話でしたかね。早速Suicaのペンギンに貢いでいるお友達を横目に見ながら改札に入ります。下り電車だというのになかなか混んでますなあ。数駅先の藤沢で下車。

江ノ電に大量の学生が乗り込むのを見て、再びJRの駅へ。お目当ては「スーパービュー踊り子」車両で運転されるおはようライナーです。しかし朝の東海道線の混雑は凄まじく、3分おきにやってくる普通列車は軒並み満員です。まったく乗れたもんじゃありません。一方我々が乗るおはようライナーは座席定員制。520円払えばふかふかシートに座って都心へ行くことができます。

f:id:nrcofficial:20200504113604p:plain

 やがてやってきたライナーは満席で藤沢を発車。スーパービューとだけあって眺めがいいのですが、睡魔には勝てず再び夢の世界へ。埼京線の遅れのためだとかなんとかで少々遅れて新宿に到着します。それにしても埼京線の遅れが東海道線にまで響くなんて東京の電車は複雑ですね、理解できる気がしません。新宿では東京在住の先輩方がお出迎えくださいました。しばらく談笑したのち、僕は山手線ホームへ。今更ながら新型車両に乗車します。見渡す限りの液晶ディスプレイに圧倒されつつ品川に到着。京浜東北線に乗り換えて横浜方面へ戻ります。が、どうも上り列車が遅れているよう。上野からの常磐線に乗り遅れると特急に大枚をはたいて乗ることになるので、鶴見あたりでおとなしく引き返します。川崎でみやまき君と合流し、グリーン車で優雅に上野へ。上野の駅ナカでランチタイムです。立ち食いうどんですけど。割合本格的な讃岐うどんでおいしゅうございました。

 おいらの心の駅、上野からは常磐線です。「北は北千住から南は南千住まで」でおなじみ南千住を過ぎて隅田川を渡り、北千住を過ぎて荒川を通るとこち亀の町亀有。さらに江戸川を渡るともう千葉県です。松戸、柏、それに唐揚げそば我孫子を過ぎて利根川を渡ると茨城県に入ります。龍ケ崎市に駅名を改称する佐貫、大仏の街牛久、決して荒川の沖ではない荒川沖と北上して霞ヶ浦をちらっと見るとまもなく水戸に到着。テンポがいいですねえ。筆者は北関東に興味がないんですかねえ。

f:id:nrcofficial:20200504113610p:plain

 水戸といえば水戸納豆ですが混ぜていると次の電車に乗り遅れるので諦めます。こんどの電車はいわき行、残念ながらロングシートです。勝田の車庫を横目にすぎると関東地方の東海を通ります。その次は大甕。書けないし読めないですねえ、「おおみか」です。駅名こそ漢字ですが町名は「大みか」とひらがなです。優しい。日立、高萩と主要駅にも止まりながら引き続き北上します。そりゃ南に行ったら困りますが。大津港でいよいよ関東に別れを告げて福島県に入ります。東北ですよ東北。ワクワクします。福島県はじめの駅は勿来。「なこそ」っていい響きですよね。来るなという意味ですが。いわきに近づくにつれ学生が増えてきます。よく考えたら今日は金曜、平日にぷらぷら電車に乗れるのは幸せなことです。幸せをかみしめているといわきに到着。

f:id:nrcofficial:20200504113616p:plain

 いわきから富岡までの普通列車は特急車両での運転です。だんだん日が暮れてきますが、広野の近くでは太平洋が姿を見せます。乗車当時ではまだ臨時駅のJヴィレッジにも停車。もっとも乗り降りした人はいないようです。楢葉町の中心街竜田から太平洋側へ進んだところには天神岬温泉があって、太平洋に昇る朝日を見ながら朝風呂に入ることができます。最高です。富岡町に入りまもなく終点の富岡。すっかり日も暮れました。

 ここから浪江までは代行バスに乗ります。この部誌が出るころにはこの区間も開通しているはず、大変うれしいことです。また乗りに来ねば。そういえばどこだったかで試運転電車とすれ違いました。開通は間近です。富岡駅を出発すると、添乗員さんから窓の開放は厳禁という注意喚起がありました。まだ線量の高い帰還困難区域の中を通るためです。双葉警察署の交差点を曲がって国道6号線を北上します。少し前まで、双葉警察の横には津波に流された痛ましい姿のパトカーが保存されていました。当時、住民に避難を呼びかけようと海側へ急行し、殉職された2名の警察官がお乗りになっていたパトカーです。少し北に進むと帰還困難区域に入ります。浜通りの南北を結ぶ大動脈であるため交通量が多い一方で、線量が高いせいで道路工事ができないため、道路状況はあまり良くないようです。すっかり日は暮れてしまっているので何も見えませんが、2018年12月にここを通った時は震災当時から一切変わっていない景色に衝撃を受け、原発事故の甚大さを思い知りました。浪江の市街に近づくにつれ道が混み始め、浪江駅には少々遅れて到着。原ノ町行の電車が待っていてくれました。

 重い荷物を持ったおばあさんを助けている部長の姿に感銘を受けていると電車が発車。次の小高で学生が数名乗車し、車内が活気付きます。南相馬市原ノ町で仙台行に乗り換えです。

 仙台行の電車にはすでにかなりの人が乗っていましたが、なんとかボックス席にありつきます。外は真っ暗なのでだらだらとしりとりをして時間を潰します。平和ですね。ふと吊り下げ広告を眺めると『「までいの村」から』という飯館村の復興だよりが。「までい」とは「手間暇惜しまず、丁寧に」という意味の方言だそう。飯館村にもまだ帰還困難区域が残っています。一刻も早い復興を願うばかりです。東北本線と合流し、ついに杜の都仙台に到着。

f:id:nrcofficial:20200504113623p:plain

 晩御飯を食べたら仙山線の快速電車に乗り込みます。仙台に泊まればよかったのですが、今日は金曜日。学生からすると仙台のホテルはどこも高嶺の花でした。ということで、ホテルが安いという理由だけで山形へ。愛子までは住宅街が続きますが、愛子を過ぎると一気に山岳路線に。景色の変化が目まぐるしく楽しい路線です。真っ暗なので何も見えないんですけど。途中作並では雪が舞っていました。面白山高原という面白そうなところを通って奥羽本線に合流。左沢線気動車がやたらと混んでいることに驚きながら山形に到着しました。外気温は1℃、しかも雨が降っています。凍えながらホテルにチェックインし、明日に備えてすぐに就寝、することはなくだらだらお喋りしてから眠ったのでした。