灘校鉄道研究部公式ブログ

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8.鉄研人生総清算 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】

鉄研人生総清算

(の名を借りた、「研究記事書いてみました」)

高校3年  犬のお兄さん(No.7301)


初めに

  恥の多い鉄研人生を送ってきました。いやそこまで言うほどじゃないんですけど。僕は中1の時からずっと鉄研に所属してきたんですが、その中でまともな研究活動というのをやってこなかったわけなんですよね。最後のどんこうくらい研究系の記事を書いてみたほうがいいんじゃないか、ということで研究記事を書きます。せっかくなのであまり他の人が書いていなさそうな神戸市西区ネタで書いてみましょう。

 

 

人口推移から見る神戸市西区・西神ニュータウン


西区について

 神戸市西区はその名の通り神戸市の最も西にある区で、南は西から順に明石市垂水区須磨区に接していて、東側は北区に接しています。2020年1月1日現在の推計人口は24万0386人[1]で、神戸市内で最も人口が多い区になっています。北区は21万2211人、我らが東灘区は21万4225人ですからとびぬけて多い訳ではないんですが、それでも神戸市の人口の15%が西区民だと考えると多めですね。人口密度は確実にうちの区の勝ちですけど。ちなみに、神戸市で最も人口が少ない区は長田区で、95155人です。うちらの半分ないやん。なんでなんでしょうかね。

西区はWikipediaによると大きく10ほどの地区に分かれますが、そのうち神戸市営地下鉄が通っているのは西神中央(糀台)、櫨谷町、西神南(井吹台)、伊川谷町、学園都市(学園西町/東町)の5地区です。西神中央駅が西神中央に、西神南駅が西神南地域に、伊川谷駅が伊川谷地域に、学園都市駅が学園都市地域にあり、櫨谷町には駅がありません。そのせいか、伊川谷西神南は1.7km[2]なのに対し、西神南西神中央は2.6kmあります。一度、板宿から西神中央まで地下鉄沿いに歩いたことがあるのですが、西神南西神中央間の櫨谷町の地域は線路の周辺には住宅が少なく、公園のような森が広がっていたような気がします。実際に地図を見ていても周りは田園ですね。

 

[1]      人口すべて「神戸市人口動態」から

[2]      距離すべてWikipediaから

西神ニュータウンについて

 西神ニュータウンは、神戸市中心地区の人口が過密にならないようにするため、1965年に当時の原口市長が計画し1972年に起工、1982年に入居開始したニュータウンです[3]。1960年が日本初ともいわれるニュータウン千里ニュータウンの入居開始ですから、できてすぐに入居された方は千里より20年くらい後の世代ということになります。30代で入居したとすると今なら80代になろうとしているくらいの世代ですね。もう「ニュータウン」なんて言ってられない。西神ニュータウンは同時に工業団地を設定し工場を誘致したのが特徴、らしいです。

 

[3]      「阪神大震災と西神ニュータウン」から

西区の人口推移

 1994年から2005年までの市内各区の人口は次のように推移しています(img1)[4]。これをみるとわかるのですが、人口規模でみるとこの時期の神戸はグラフの下のほうから順に、

  1. :灘、中央、長田、兵庫。
  2. :須磨
  3. :東灘
  4. ;垂水、北、西

の大きく4つに分けられます。ちなみに1994年時点の人口を100%としたパーセンテージで見ると、2枚目(img2)になります。こっちはわかりにくいな。

1つ目の集団の4つの区は比較的三宮に近い区で、震災前から住宅街というよりむしろ商業区域として栄えていた地域です。昼間人口は多いでしょうが、グラフにあるように夜間人口は周りの区に比べて少ないです。震災の被害も大きく、1994年から97年あたりまでで2万人から4万人ほど人口が減りました。中央区や灘区は2000年あたりで震災前の水準まで戻っていますが、兵庫区や長田区は人口が戻ることなく2000年台になっても減り続けています。特に長田区が減ってますね。兵庫区は、人口が減っているといっても引っ越し等が要因の社会増減数自体は、震災後はほぼプラス100人以上[5]です。2008年の社会増減は1378人にまでなっています。ほかの年は800がええとこやのになんでなんでしょうね。出産や死亡が要因の自然増減は96年~09年ではどの年も▲(マイナス)300~▲500人ほど、それ以降も▲600人程度なので、社会増減と自然増減を足し合わせて大体▲300の年が多く、時々プラスになるかな?くらいなもんなんですね。これに対して長田区は09年以降の自然増減が減り続けて▲700~▲800くらい、2018年には▲916にまでなっています。そして社会増減が02年以降は▲100~+200くらいになっています。おそらく区民が高齢化+なっかなか若者が引っ越してきてくれない、ということなんでしょう。

2つ目の集団、というか須磨区は震災での被害は東灘区ほど大きくありませんでしたが、人口が震災前の水準に戻ることなく減り続けています。自然増減が減り続けているので高齢化も原因にあるでしょうが、須磨の北のほうなんかは住みやすそうなのに社会増が少ないのはなぜなんでしょうか。

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 3つ目は我らが東灘区、灘校の所在地です。震災当時は木造住宅が多く立ち並んでいたので、住民への被害が最も多く、人口は避難も含めて3万5000程が減りましたが、その後はコンスタントに増え続けています。おそらく原因は復興して人々が戻ってきたことと、超高層マンションがたくさん建設されていることでしょう。学校の前にも住吉駅の前にも、どこ行ってもタワマンが立ってます。学校の目の前に住んでる同級生は始業時間の5分前に起きても間に合うって言ってました、羨ましすぎる。

 そしてやっと本題の4つ目。北区と垂水区、そして西区は、震源から離れていたこともあって震災でも被害が少なく、被災した地域の住民が避難してきたことから、震災後、逆に人口が増えています。これらの区に共通する点は震災前も震災以降も、中央区などに務める人のためのニュータウンとして開発されてきたということでしょう。震災直後は中心部の復興が進むまでの住まいとして神戸を支えました。中心市街地から離れたところに住宅地を開発してきたことが、都市直下型大地震からの復興を後押しすることになったと言えます。

 震災前と比較すると、垂水区と北区の人口は同じくらいか、それよりも少なくなっていますが、西区は大幅に増えており、2010年代以降は、人口が減っているとはいえ神戸の中で最も人口が多い区となりました。それはなぜかと言いますと……わかりません。北区に関しては、すぐ北側に三田市がありることが関係するかもしれません。三田市は1980年には3万6000人ほどの市でしたが、90年には6万4000人、2000年には11万2000人弱と開発を受けて住宅地へと大きく変貌した市で、現在の人口は11万0554人と安定して微増しています。「大阪に通勤したい」「結婚したので一戸建て住宅が欲しい」というような居住地への要求に対して北区だけでなく三田市も選択肢に入ることが、北区の人口がそこまで増えなかった要因かもしれません。ただ、三田市に関していうと、神戸市全体からは三田市への転出が上回っているものの、北区へは逆に三田市からの転入が上回っているようで[6]、正直わかりません。

 

[4]      img1,2共に「兵庫県統計書」から

[5]      「神戸市人口動態」から

[6]      「三田市人口ビジョン」から

市営地下鉄の乗降客数推移と西神ニュータウン

 鉄研の部誌に交通に関わらないことを載せるのもなんなので、市営地下鉄のデータから何か読み取れることはないかと検討してみます。長田区とか中央区とかはほかの路線も走っていて検討しにくいので、西区のデータだけ取り出してみましょう(img3)[7]。参考として須磨区の北側にある妙法寺名谷、総合運動公園の乗降客数も入れています。

一番上の2駅、名谷西神中央の乗降客数がH14年度(2002年)頃から年々減ってきているのがわかりますね。前述したように西神ニュータウンの入居開始が1982年、名谷駅のすぐ近くの須磨ニュータウン落合地区は1973年に区画整理事業開始[8]であることから、入居開始時に30代くらいだった世代が2000年代には60代になり、ニュータウンからさらに利便性の良い中心市街地に引っ越し始めたか、地下鉄を利用するような外出を減らし始めた、ということが予想されます。歩いたときにも、名谷駅近くのマンションは建てられてからある程度建っているんだろうな、という外観のものが多くありました。


 総合運動公園と伊川谷はこれらの駅の中では乗降客数が少ない方ですね。総合運動公園はそこに住む人、というより野球を見に来たりそこで試合があったりする人達がメインでしょうか。伊川谷は何があるんだ。確かに回りにちょっとだけマンションあったけど。
 次の2つは妙法寺と学園都市です。妙法寺に関してはすぐ近くに阪神高速31号神戸山手線が通っており、車で、特に遠方に移動するときの利便性が他の駅周辺に比べて格段に高いことが乗降客数にも影響していそうですが、歩いた時には名谷よりも新築の一戸建て住宅が多い、現在は子育て世代が流入してきている地域のように感じました。学園都市はその名の通り学生の街で、現在大学が6校あります。なので、大学が移転したり生徒数を減らしたりしない限り、これくらいの乗降客数で推移するのではないでしょうか。

 そして安定して乗降客数を伸ばしている西神南。周辺の井吹台西町・東町で多数の戸建て住宅やマンションが建設されたことで人口が爆発的に増え、井吹東小学校は2013年には日本で一番児童数が多い小学校だった[9]んだそうです。あまりにも多いので2014年には新たに井吹の丘小学校が建設され、児童の半分はそちらの小学校に転校したんだとか。これだけ子育て世代がいるんだったら、この乗降客数の伸びもうなずけます。

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[9]      Wikipediaから

出典

1,5:神戸市人口動態

2: 阪神大震災と西神ニュータウン

4:兵庫県統計書

6:三田市人口ビジョン:https://www.city.sanda.lg.jp/shiseijouhou/sonohoka/opendata/documents/jinkoubijyon.pdf#page=28&zoom=auto,-14,635

7:<西神・山手線>駅別乗車人員(1日平均)(人):https://www.city.kobe.lg.jp/life/access/transport/kotsu/gaiyou/img/H7-27.pdf

8:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3

9:Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%E7%AB%8B%E4%BA%95%E5%90%B9%E6%9D%B1%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1



おわりに

 現在2020年3月9日18:39(JST)、何とか締切に間に合いそうです。鉄研で長く過ごしてきた中で旅行記ばっかり書いてきたんで、一回でもこういうマジメ系記事を残せてよかったです。

 鉄研に入ってから旅行や徒歩をすることを覚え、今ではそれなしではやっていけない体になってしまいました。高3の1年間、禁断症状が出ないか心配です。中1の鉄研旅行からいきなり東北に連れていかれてキハ110の悦びを知り、その冬には先輩3人に東北・北海道旅行に連れていかれて冬の北日本の魅力を知り、と、気づけば旅行という沼にはまっていました。72回生のH某さんやI某さんが創始者と思われる都市間徒歩も、彼らほどではないとはいえ京都→奈良、下関→門司など、かなり経験を積んできたと思います。鉄研’s traditional card game”ドボン“も何度となくやってきましたし、鉄研の研究活動自体にはあまり参加できなかったにしても自分の心にはしっかりNada Railway Culb(原文ママ)のDNAが刻み込まれているんだと思うと、中1のあの時鉄研に入っててよかったみたいなことを思います。あ、ちなみにCulbってのはわざとです。僕が中2の鉄研旅行で北豊津に行ったときに、みんなで道路挟んで駅と反対側にあった砂浜に行ったんですけど、そこで「NRCのロゴを描こう」的なノリになってみんなで書いたんです。それで僕はこんな綴りをして、それに気づかずTwitter担当者が投稿してしまったわけです。https://twitter.com/Nada_NRC/status/1166974701190598656それから、鉄研旅行で砂浜を見るたび当時を知る74回生にCulbって言って煽られます。去年夏の東北旅行でも確か砂浜見つけて描いてた気がする。この伝統もドボンともども受け継いでいただけたら喜びます。知らんけど。