2.2019夏 四国一周旅行の記録 Vol.2:二日目 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】
4.2日目(担当:No.7502)
さて。二日目は、四国の南西をぐるっと回り、松山に向かっていきます。
まずは特急しまんとで窪川駅へ。ここでトラブル発生。No.7507がきっぷを高知駅で落としたようです。幸い、きっぷは高知駅で見つかり書類を代わりに使うことにして事なきを得たようです。窪川で予土線の列車を待っていると…
来ました、四国新幹線0系32形第三編成キハ32形3号、「鉄道ホビートレイン」です。車内には、JR四国の区間で開業から今まで走ってきた車両たちの模型が展示されていました。
ふと床を見ると……「60形 形式図」。高松から琴平までを結ぶ路線、今の土讃線の一部を開業した「讃岐鉄道」がドイツから輸入した蒸気機関車の形式図ですね。調べてみると、この機関車たち、数奇な運命をたどっています。
鉄道国有化の際、この機関車たちは本州に渡ったのですが、1923年度、神戸機関庫に3機が在籍しています(Wikipediaより)。どこに使われていたかというと、今では唯一となりつつある103系の長編成、R1編成が活躍している、そして我らが地元の、あの「和田岬線」です。それだけではありません。この形式のうち60号機と61号機の二機は、「新京阪鉄道」に譲渡され、路線の建設用や保線用の列車を牽引しました。とこれだけ書くとわかりにくいのですが、単刀直入に言うと、「阪急電鉄京都線」を作った機関車なのです。四国から来た蒸気機関車が、我々が日々利用している線路を走っていた。そして、私たちのよく知る線路を作ってくれていた。これはすごいことだと思いませんか?
そんなことを言っていると、対向列車と行き違いをしています。
「予土線三兄弟」の一角、海洋堂ホビートレインです。デフォルメされた河童があちこちに描かれていました。
さらに進んでいくと、また行き違い列車が来ました。
まもなく宇和島です。宇和島に着くと、僕はコンビニにダッシュしました。何せ、ここまで数時間、飲み食いができなかったのですから。もう少しで熱中症になる所でした…というかなってた気がします。皆さんは高知でたっぷり飲み物を買ってから乗りましょう。
宇和島は、鉄道唱歌の歌詞を作った、大和田建樹さんの出身地です。「汽笛一声新橋を、はやわが汽車は離れたり」「右は高輪泉岳寺」で始まり、「神戸の宿に身を置くは、人に翼の汽車の恩」「あけなば更に乗り換えて、山陽道を進ままし」で終わる東海道編。「神戸の里を立ち出ずる、山陽線路の汽車の道」で始まり、「かしこも楽しここもよし、いざ見て巡れ汽車の友」で終わる山陽九州編。当時は「朝は花の嵐山、夕は月の筑紫潟」とまではいかなかったけれど、今は新幹線と特急でそんな旅ができます。
駅に隣接する車両基地には、かつての扇形機関庫や給水塔などが残っていました。そんな宇和島駅から、アンパンマン列車「宇和海」で松山に向かいます。
列車は松山に滑り込みます。さて、それじゃあ早速「松山名物」の一つを見てみましょうか。
そう、「宇和海」と「いしづち+しおかぜ」の3本の列車が同じホームに入ってくるのです。こんな芸当が当たり前に行われているのは、おそらくJR四国だけでしょう。続いて路面電車を楽しみ、伊予鉄道鉄道線と伊予鉄道路面線が交わる場所「大手町電停」に行きます。かつては京都市電で走っていた2000形路面電車が走る、古き良き街を満喫したら、今度は伊予西条に向かいます。伊予西条は新幹線の生みの親、十河信二国鉄総裁の出身地です。余談ですが、十河総裁の十河って「そごう」って読むんですね。僕は中二くらいまで「とかわ」って読んでいてクイズ同好会の友達に指摘されて大恥かきました。皆さんくれぐれも気をつけましょう。
駅に隣接して中規模の鉄道博物館があり、フリーゲージトレイン(FGT)やDE10形ディーゼル機関車、DF50形ディーゼル機関車やC57形蒸気機関車、キハ65形急行形気動車、0系新幹線電車前頭部などが保存されています。
というわけで、旅は終了。駅の近くのビジネスホテルに泊まって、ゆっくり休みました。
今日の感想
トラブルは付き物ですが、晴天に恵まれ、いい一日だったと思います。予土線の「鉄道ホビートレイン」のロングシート耐久は特に印象に残りました。(No.7506)
きっぷを落としました。列車に乗ってから気付きました。問題なく行程通り旅を続けられたのはひとえに車掌さんを始めとするJR四国の皆さんのおかげ。お世話になりました…。(No.7507)