灘校鉄道研究部公式ブログ

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1.夏期取材旅行の記録 Vol.9:四日目前半[津軽線班] 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】

津軽線

 8月29日、4日目です。この日は5時半に起床。おはようございます。連日の朝の出発で例年以上に早く疲れがたまってきたところです。この日の八戸の最低気温は8月にも関わらず21度となっており、起床直後は寒さを感じたほどでした。昨日とは異なり列車も通常通りに動いていることを確認して一安心。6時半にロビーに集合。タクシーで八戸駅に向かいます。駅に着くとでグリー部の合宿が終わってから鉄研旅行に途中参加する先輩が待っていました。

 

 八戸からは青い森鉄道に乗って青森まで向かいます。車両は東北ではお馴染みの701系ベースの車両。東北の電車は本当にこればかりです。この線はもともと東北新幹線が開業する前は東北本線であり、現在でも貨物列車が多く走る路線で物流の大動脈としても役割を果たしています。そのため線形は良好。常時100km/h程度のスピードで走行します。途中の駅で少しずつ学生が乗ってきて気づけばそこそこの乗車率となっていました。通学している学生をみて旅行から帰ればすぐに学校が始まることを思い出し現実に少し引き戻されたところで大湊線との分岐駅の野辺地に到着。大湊線班とはここでお別れです。たくさん乗っていた学生もこの駅で皆降りていき野辺地からは列車は落ち着きを取り戻します。青森までも線形の良さを生かしてかなりのスピードで走行します。青森の駅周辺の下調べを少ししたところで8時50分、青森に到着。

一旦解散した後次の集合まで2時間弱あるので観光をすることに。青森駅からも見えていた青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸を訪れます。青函トンネル開業により青函連絡船が廃止になった後、「海の街」青森の記念碑にしようと1990年、青函航路の花形だった八甲田丸を、往時に近い状態で海上博物館として利用しつつ、保存している博物館です。

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ここで青函連絡船について少し。青函トンネルができる以前の北海道と本州の移動には船を使うしかありませんでした。そこで国鉄大正13年以降に就航した船の中に旅客列車や貨物を船の中にレールを敷くことでそのまま運べる輸送形態を取っていました。以下は函館市青函連絡船記念館 摩周丸 HPより引用します。

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国鉄青函連絡船は、1908年3月7日、比羅夫丸の就航ではじまりました。1924年に、船に直接貨車を積み込む車両航送船、翔鳳丸が就航しました。そして翌1925年8月1日から車両航送が開始されました。車両航送の効果は絶大で、積み下ろし時間が大幅に短縮されたため、北海道の水産物が関東・北陸まで運ばれるようになり、流通革命と呼ばれました。

戦争が終わって、1947年、洞爺丸が航路復興をめざして、豪華な客室で就航。しかし、洞爺丸は1954年に台風15号の予測をこす猛威を受け、貨物船4隻とともに沈没してしまいました。洞爺丸事故を契機に最新の装備をもつ船への取り替えが計画され、輸送能力は航路開設以来、最大となりました。

しかし、貨物は1971年、旅客は1973年をピークに減少。旅客輸送の主役はだんだん航空機に移りました。そして、1988年3月13日、青函トンネルにバトンタッチして青函連絡船は80年の歴史の幕を閉じました。

函館市青函連絡船記念館 摩周丸 HP一部抜粋

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洞爺丸事故などの多くの歴史がある青函航路ですが、現在は青函トンネルが、そして北海道新幹線が開業したことによりJRの運航するものはありませんが、これとは別に「青函フェリー」がこの航路を運航しています。

八甲田丸のオープンは朝9時から。我々が到着したのは9時3分だったのでこの日の一番乗り…… というわけではなく顧問の先生が一足先に入館されていました。順路に沿ってまずは3階から。館内は想像以上に青函航路の歴史に関する展示が充実しています。「青函ワールド」と名付けられたこのコーナーは平成23年9月まで東京「船の科学館」別館『羊蹄丸』内で展示されていましたが、同館の部分休館に伴いこの八甲田丸に移設されたものだそうです。青森市は古くから漁港の町、物資輸送の拠点として重要港湾の町でした。青森駅前から数メートルも連なる市場でりんごや魚介類を売る元気な売り子、青森、北海道間を物資交換の為、大きな風呂敷を背負って連絡船へ急ぐかつぎ屋など、青森駅前とその周辺の賑わいや活気あふれる様子が展示されています。次に目に入ってきたのはグリーン船室跡である、乗客用椅子や寝台室、船長室などを残したスペース。当時のグリーン船室用の椅子も置かれています。船のスペースは列車ほどに限られているわけではないので座席の間隔も広く快適そうです。ここでは2時間に及ぶドキュメンタリー映画が上映されていましたが時間がないので流石にパスします。その後の通路にも、当時の案内看板などがいろいろと展示されていて当時の様子が伝わってきます。

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 続いて4階へ。操舵室と運航に関する司令塔である無線通信室があります。甲板に出て青森の景色を一望することもできるのですが、この日は天候不順のために開放せずとのことでした。少し残念ですが操舵室の中の双眼鏡からも周りがよく見えたので満足です。続いて1階の車両甲板、八甲田丸のメインともいえる展示です。先にも述べましたが青函連絡船の大きな特徴は鉄道車両をそのまま船内に格納して運べるよう線路のついた広い空間を持っていることです。船内に入れた車両は船の傾きで脱線、転覆しないよう連結器や緊締具と呼ばれたさまざまな車両固定用の器具でしっかりと止められるようになっています。車両甲板に展示されている車両はDD16-31(ディーゼル機関車)・ヨ6798(ヨ5000形)・ヒ833、834(ヒ600形)・スユニ50-509,510(郵便貨物車)キハ82-101(ディーゼル特急)といった昔の車両です(全部調べた)。鉄道車両を間近で見ることができるのでとても迫力があります。

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 最後に地下のエンジンルームを見学してごーる。入館料は中高生は300円とリーズナブルですが、価値のあるものが多く展示されており、訪れる価値がありました。

八甲田丸をあとにして駅に戻る途中にあったお土産屋さんに寄り道、店内のほとんど全ての商品がリンゴ関連のものです。流石青森。筆者もお土産にアップルパイを購入しました。駅に戻って駅弁を調達して集合場所に戻るとそばに自販機が2台。そのうちの1台はなんとJR東日本がプロデュースしているブランドのリンゴジュースで全て埋まっています。流石青森。リンゴの名産地なだけあって凄いですね。ちなみに静岡にはお茶だけの自販機があるのだとか。リンゴジュースの方がインパクトがある気がします(?)

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青森からは津軽線に乗って三厩駅を目指します。11時1分、途中の蟹田駅まで向かう電車は発車します。車両はまたも701系。うとうとしているとあっという間にこの電車の終点の1つ手前の瀬辺地駅を出発。瀬辺地蟹田の間は海がよく見え、対岸の下北半島もみることができました。蟹田からはディーゼルカーのキハ48系に乗り換えます。乗車人数調査という腕章をしたおばちゃんが乗っていて、何人乗っているかを数えていらっしゃいました。筆者のみた限りでは我々を含めてほとんどが旅行客で地元の利用者というような人は見られませんでした。3時間に1本では利用しづらいというのも納得です。

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 中小国を出るとすぐに新中小国信号所を通過。津軽線青森駅から途中の新中小国信号所までが青函トンネルを介して北海道と本州を結ぶ青函連絡線の一部となっており、中小国駅からは北海道の木古内駅まで向かう海峡線が分岐しています。かつては新青森と函館を結ぶ特急白鳥、青森と札幌を結ぶ急行はまなす寝台特急カシオペア北斗星トワイライトエクスプレスなどといった数々の旅客列車、そして北海道と本州の物流を担う貨物列車が運転されていましたが、2016年3月の北海道新幹線開業に伴い、現在この海峡線区間を通過する在来線列車は貨物列車が大半を占めており、旅客列車は団体臨時列車のみの運行となっています。このため途中の新中小国信号所までは電化されており、線形もかなり良好ですが、ここを過ぎると線形は悪くなり、非電化区間となります。この辺りで青森で買った駅弁を広げます。青森海鮮ちらし寿司という名前の駅弁です。ほたて照焼・鮭・ホッキ貝・鯛・鯖などがのっており具だくさんで美味しかったです。津軽二股駅からは北海道新幹線奥津軽いまべつ駅が見えます。徒歩数分で行き来することが出来るようですが乗換駅には指定されていないようです。今別駅をすぎると再度海が見えてきます。海の向こう側に見えるのは北海道。遂にここまでやってきたのかと感慨深いものがあります。

12時24分、三厩駅に到着。折り返しまで13分あるので駅前を少し散策してみます…… が特に何もありません。あるのはロータリー(?)のような広い土地と民家が数件だけです。どうやら駅前から出ている町営バスで下北半島最北端の龍飛崎にアクセスが可能なようです。時間に余裕があれば訪れてみたいところですが今回は時間がないのですぐに折り返し。

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12時37分、青森に向けて折り返します。行きは蟹田駅で乗り換えが必要でしたが、帰りは青森にある車庫まで車両を持っていく都合なのか電化されている区間も含めて乗り換えなしで乗車している気動車で向かえます。行きは寝て駅弁を食べてだったので車窓を十分に見ていなかったため帰りはじっくり車窓をみます。乗客も少ないので窓を開けて楽しむことに。津軽二股で若干の乗降があり北海道新幹線との連絡駅としての機能もあるのだなぁと感心。しばらくすると北海道新幹線の高架が見えてきて、すぐに新中小国信号所に近づきます。しばらくすると横に2本の線路が現れました。これが海峡線の末端部分というわけです。よく車窓を見ていると合流部分の付近にJR東日本JR北海道の社境を示す柱が立っていました。すぐに中小国駅に到着。その後も客はあまり増えることなく青森まで順調に進みます。ところでこの津軽線はほとんどの区間が単線ですが、行き違いのための設備がやけに長くなっています。これは編成長の長い貨物列車に対応するためのもので、このようなところからも津軽線が物流の大動脈となっていることが感じられます。そして 14時1分、青森に到着。ここで津軽線班は終わりとなります。

【文責 高校2年 No.7410】