灘校鉄道研究部公式ブログ

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1.夏期取材旅行の記録 Vol.3:二日目前半[板谷峠班] 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】

板谷峠

 本日の旅の起点、長岡駅には、朝の七時ぐらいに到着しました。電車がホームに到着するまで時間がまだあったので、ホームにあった自販機で飲み物を買いました。それにしても、駅の自販機は高いもので、飲み物代を一日あたり百十円前後に収めたかった筆者は二日目以降の五日間原則として飲み物は水を買っていました。さて、水を買ったと書きましたが、五日のうち四日は「From AQUA」という商品で、東北の自販機(特に駅)の水はこれが多かったです。この商品は、ペットボトルのキャップが取れないようになっています。何らかの機会があって東北に訪れた方は是非買ってみてください。(買ってほしい飲み物といえばマックスコーヒーという練乳入りコーヒーがございます。〈※東北地方限定商品ではない〉六日目にOBの方がくださり、飲んでみましたが、普通においしい?ので見つけたら是非どうぞ。近所の店にはありました。)

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 さて、ようやく旅の話に移ります。長岡駅に入線した列車は、快速おはよう信越号であります。特急型車両(WikipediaによるとE653系という車両らしい。僕はそういうのは詳しくないので)を使用していました。電車に乗ってしばらく(一駅ぐらい)は、上越新幹線と並走していました。途中の風景は、さすが米どころ新潟だけあって、新津ぐらいまでは、田んぼが広がっていました。ただ、駅が近づくと家や商業施設があり、田んぼの奥に工業団地が見えたこともありました。このような風景は、前の日に通った琵琶湖線野洲米原間に似ていました。ああ懐かしい……(ちなみに僕がこの文章を書いているのは九月五日です)

 この快速の停車駅は、見附、東三条、加茂、新津だったのですが、東三条と新津は、なかなか栄えていて、乗り降りが多かったのですが、見附や加茂は、若干人の乗り降りが少なかったような気がしました。五日目の夜に逆方面の列車に乗ったときは、乗り降りが多かったのですが、快速列車が停車する時間帯に乗り降りする人が少ないのであれば、通過させてもいいのではないかと思いました。

 中二(現在は中三)の方々が、楽しそうにドボン(トランプを使ったゲーム)をやっていらっしゃる中、大変なことが発覚します。終点新潟の五分という乗り換え時間が、新潟駅が高架化しているせいで、相当きついようなのです。ということで、早々に準備をして、米原ダッシュならぬ新潟ダッシュに向けて用意を整えます。そして いよいよドアが開きダッシュスタートです。合計で階段二階分、角を二、三回ほど曲がり、やっと快速べにばな号の発着するホームに到着です。ちゃんと無事発車時刻に間に合いました。運転手さんも親切で先輩が乗り換え時間の短い旨を伝えると心配して全員が乗ったことを確認したうえで出発してくださいました。 

さて、新潟で飛び乗った気動車(キハ110系であるらしい)は、快速べにばなという新潟~〈白新線〉~新発田~〈羽越本線〉~坂町~〈米坂線〉~米沢というところを走る列車で、途中停車駅は、豊栄、新発田、中条と、坂町米沢間の各駅(米坂線内各駅停車)でした。僕は列車の先頭で、前面展望を楽しみました。ところで、この列車は外見はぼろそうでしたが、運転席には最新型?の速度計がありました。白新線は、信越本線と比べ、住宅地が多かったような気がしました。特に、新潟駅を出てしばらくはそうでした。この路線は、途中の新崎までは複線で、そこから先は単線でした。白新線唯一の途中停車駅、豊栄では、一定数の客が乗り降りしていました。佐々木駅手前の踏切では撮り鉄の方々がいらっしゃいました。地方にも鉄オタは多くいらっしゃるみたいですね。嬉しい。西新発田駅では、列車行き違いのため、運転停車(列車のドアを開けずに駅や信号場に止まること)しました。駅の隣には、イオンモールが。自動改札機はないのに、イオンモールはあるというのは不思議でした。そんなことを考えているうちに、新発田に到着です。ここはそれなりに家も多かったですが、同じ乗換駅の新津に比べると、寂しいようにも見えました。列車は、ここから羽越本線に入ります。新発田から、再び複線に。しかし、金塚からまた単線に。と思ったら、一つ次の中条から、また複線に戻り………このように、この路線は複線と単線が入り混じっているようです。なんでそんなややこしいことになったのでしょう? そして新発田からしばらくして坂町に到着です。ここからいよいよ米坂線です。坂町を出てから、越後大島越後下関越後片貝越後金丸と、四駅連続「越後」のつく駅が続きます。二駅目の越後下関では、砂利を運搬している列車(下の2枚の写真)と行き違いをしていました。なかなか珍しいものです。またこの駅は越後四駅の内、まだ乗り降りが多かったです。越後金丸は、わけわからんところに駅が造ってありました。どうしてなのかは今後調べてみます。

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 そんなことはともかく、越後片貝あたりから、山の中に列車は入っていき、越後金丸~小国間で山形県に入ります。鉄研旅行二日目の昼前に、ようやく今回の旅の舞台、東北に突入です。ところでですが、県境の越後金丸~小国間の景色はよく、昨日の高山本線のようで、川と山が綺麗でした。今回の旅行でわかったのですが、日本の山の鉄道は結構風光明媚なところが多いので、興味があったら色々な路線に乗ってみるのもよいと思います。(沢山乗りたいなら鉄研はいいですよ‼)小国は、小国町の中心地で、若干開けていました。その後、しばらく田畑等の中を走っていましたが、一つ次の羽前松岡から再び山の中を走ります。ここも景色はよかったです。途中の伊佐領の駅舎は丸太でできていました。なぜかは知りません。一つ次の羽前沼沢を出てすぐ、列車が若干減速しました。線路内立ち入りがあったようです。本数が少ないですからね…(一日上下合計で十二本しか来ないみたいですからね。ちなみに、米沢方面はこの電車のあと四時間列車は来ないようで……新潟で遅れたら大変なことになっていましたね)手の子から、再び、列車は平地を走ります。今泉の手前で山形鉄道線と合流。今泉駅では山形鉄道の車両が見えました。時間的には、今泉~〈山形鉄道〉~赤湯~〈奥羽本線〉~米沢というルートも可能であったようです。提案すれば良かった(後悔先に立たず)また、今泉からは多くの客が乗ってきました。ここからは客は多かったです。そして終点米沢に到着。この路線も青春18切符の使用者が多く、地元客の利用はあまり多くなかったです。羽前椿または今泉以西は、いつ廃止されてもおかしくない状況だと思いました。 

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 米沢では九十分ほど自由時間がありました。まず時刻表をもらい、次に駅の周りを散策しようと考えました。が、駅の周りは何も無かったので、すぐに駅に戻ってきました。昼飯をまだ食べていなかったので、駅の売店で、駅弁を買いました。鉄研旅行で食べた食事の中で、一位二位を争うぐらいの高級品でした。まあ、美味しかったですし、肉の量も多かったので、米沢に来たら是非どうぞ。(1250円)

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 食べ終わったあと、駅二階のお土産屋へ。牛肉パイや牛肉せんべい、だだちゃ豆の和菓子などがありましたが、僕はミルクケーキを買いました。ミルクケーキは、この辺り発祥らしいです。そういうこともあり、定番のものから、ラ・フランスやサクランボなどといった山形らしいものもありました。僕はラ・フランスとサクランボを買いましたが、やはりおいしかったです。食べたことない人は是非買ってください。マックスコーヒー同様お勧めです。

 さて、再集合していよいよ板谷峠を越えます。ところで、この列車の車掌さんは親切で、我々が列車の写真を撮ろうとしたとき車掌室を離れてくださるなどしてくださいました。この列車は新幹線と同じ軌間(レールの間の距離)ということもあって、最初の関根駅までは120km/hぐらいで走っていました。しかしそこからは「峠」ということもあり、ゆっくり走っていました。ただ、見ただけではあまり「峠」という感じが無かったです。そして途中の峠駅で千円の力餅を購入。後日頂きましたが甘くておいしかったです。そしてあっという間に平地に出ました。そして福島駅に到着しました。

【文責 中学2年 7705】