灘校鉄道研究部公式ブログ

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1.夏期取材旅行の記録 Vol.1:一日目 【2020年灘校鉄道研究部部誌「どんこう」】

1日目 8月26日

 西日本旅客鉄道(Japan Railways 西日本)大阪駅北側、エスカレーターを上がり、アトリウム広場に降り立ち、周りを見渡します。普段通り、通勤客でごった返す喧騒の大阪駅。普段と違うのは、広場の隅の方に大荷物を持った中高生の団体が陣取っていること。久し振りに抱く非日常の感覚、未踏の土地へ踏み入れることへの期待を噛み締めながら、その集団に近づいていきます。今日は8月26日。時刻は午前7時45分頃。これから6日間、大阪駅を起点に、北は青森県大湊駅三厩駅まで。2019年度の鉄道研究部夏季取材旅行、開幕です!

 大阪駅で集合場所に向かう時の期待と裏腹に、この乗車はこの先の旅の苦労を予感させるものでした。乗車時間長くてしんどい……(きちんとこの予感は裏切られます。マンネリ感のある新快速電車の乗車より後は、新たな発見の嵐で楽しかった!)会誌委員会の仕事をしたりしながら時間を過ごしました。 さて、1日目の目的地は、新潟県長岡市長岡駅。遠いですね。というわけで、移動がメインの行程となっています。最初の乗車は東海道本線、新快速電車。米原まで向かいます。

 米原で乗り換え。ホームが変わるので跨線橋を渡るのですが、人でごった返しています。年に3回ある青春18きっぷ(格安でJRの普通・快速列車に乗れるフリーきっぷです)利用可能期間には、在来線の幹線である東海道本線の拠点駅、とりわけ米原駅大垣駅などでは乗り換え客による混雑が目立つのです。こうした局面で乗り換え列車の座席を確保するため、駅を走りまくって乗り換える行為を、駅名を頭に冠して「○○ダッシュ」と呼びます。

 この日は「米原ダッシュ」は発生せず、落ち着いて乗り換え。ここから鉄道会社が変わります。東海旅客鉄道JR東海)普通電車の大垣行。田園風景と山がちになってきた車窓を眺めつつ、30分程度の乗車です。1600年関ヶ原の戦いで有名な関ヶ原駅も超え、若干の遅れをもって岐阜県大垣市大垣駅に到着。この遅れのため、希望者に予定していた美濃赤坂線の乗車が不可能になりました。よって全員が20分程度、自由時間を過ごします。大垣は岐阜県第2の都市。人口は16万人程度です。大垣城の城下町であったり、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅を終えた地であったりします。

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大垣駅前。奥に見える建物群の下は商店街のような感じで店が並ぶ

 僕は、松尾芭蕉の句の碑みたいなものが並んだ、「ミニ奥の細道」という道があるらしいとインターネットで見つけ、探しに行きます。駅前はそれなりに栄えています。とはいえきれいに整備されているというよりは、昔ながらの、ちょっと雑然とした感じの町並みです。ここに夜来たことのある部員の話によると、「怖かった」そう。わからなくはないですね。

 さて、「ミニ奥の細道」なんですが、どこにあるのかよくわかりません。時間がないのでこれは諦め、偶然目に入った稲荷神社を眺めて大垣駅に戻ります。悔しいので最後に『奥の細道』の結びの一句を。「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」

 高山本線に乗車するため岐阜駅に向かいます。大垣から岐阜まではすぐです。揖斐川長良川を超え、建物が増えてきたら岐阜県の県庁所在地、岐阜市の岐阜駅に着きます。ここでは特に改札を出るといったことはしませんが、駅から周りを眺めるだけで街の栄えている感じが伝わってきます。県庁所在地らしい清潔感のある高架駅で乗り換え。

 乗車するのは2両編成の普通電車、高山行。ディーゼルエンジンで走るディーゼルカーなのですが、シルバーの車体に白とオレンジのラインが入った外観、特に特徴のない内装は、さっきまで乗車していたJR東海の新快速と何ら変わりありません。下呂まで約2時間の乗車。

 前半は、沿線は田園風景です。特急列車も走る路線なのですがそれほどスピードを出すこともなく、ゆっくり走ります。座席が進行方向横を向いたロングシートなこともあり、正直しんどい……

 しばらくすると車窓に川が見えてきます。飛騨川。日本地理で習いますね。川幅はそう広くありませんが、山の中で、渓谷と形容してもいいような、綺麗な景色です。水面はエメラルドグリーンで、少し白濁しているように見えます。川底が白っぽい岩でできていると反射などで白っぽく見えるらしいのですが、正にそれでしょうかね。この頃から、車窓が綺麗でいよいよ遠くにきた感じがしてきました。山越え川越え、列車は下呂に到着。

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下呂駅。左の人だかりが、温泉水に集まる部員たち。


 駅で再集合して、この旅行で初めて特急列車に乗車します。富山行ワイドビューひだです。ここから2時間強の乗車、富山駅まで行く予定でした。……本来は。しかしこの日は車両故障かなんかで、途中の高山駅で別の車両に乗り換えることになりました。とりあえず高山まで乗車。 「下呂」。この名の由来は「下留(しもつとまり)」。古くは、奈良時代後期の宿駅として記録された名前まで遡ることができるそうです。「下留」→「げる」→「げろ」らしいですね。ここは有名な温泉地で、歩いてちょっと行くと無料の足湯なんかがあるらしい。そんな駅で、鉄道研究部員に与えられた自由時間は電車が遅れていたことなんかもあっておよそ10分。なんでや…… 折角の温泉地なのに特に何もできません。駅前は観光地らしくお土産屋なんかが点在。温かい温泉水に触れられる噴水みたいなのもありました。この水に触れて下呂を味わったつもりになります。

 この列車は特別デザインがかっこいいとか、内装がお洒落とか、めっちゃスピード出るとかはないのですが、なかなか快適でございました。まず、とりあえず特急列車であること。これが重要で、静かで、速くて、リクライニングシートに座れる。これまで普通列車で頑張ってきていたので、これだけで有り難いものです。また、「ワイドビュー」という名前を冠しているだけあって、窓が大きく車窓を存分に楽しめます。

 山間部をテンポよく走り抜け、ノンストップで高山に到着。ホームを移り、同じ形式の特急列車に乗り換えます。この列車はちゃんと富山まで行ってくれます。椅子に座って落ち着き、トランプしながら車窓を眺めます。

 高山本線は川沿いに北に向かいます。気づかぬうちに分水嶺を越えていたらしく、水は列車と同じ、日本海向きに流れています。これ何の川かなぁと思って調べてみたら、神通川らしい。うーん? 何か国語の授業で聞いた覚えがある気がします。何でだろうと思って向かいに座っていた部員と話したら、四大公害病の一つ、イタイイタイ病が発生した川だと分かりました。確かに国語の授業でやった…… 何となく辛い思いになり、思いを馳せます。

 1900年代には鉱山の廃水で汚染されていた神通川も、今、列車から眺めるだけではそんな気配も感じさせません。山の中、大自然の景色。「ワイドビュー」の大きな窓はその役割を十分に果たし、列車は山中を左右にうねりながら走り抜けます。

 山を越え、車窓は実りつつある稲の鮮やかな黄緑色に変わりました。神通川扇状地、富山の市街地に向かっていきます。日産化学(化学肥料の製造から始まった会社らしい)の工場へ貨物輸送専用線が分岐する様子がみられる速星駅(名前がかっこいい)を抜け、進行方向右側に北陸新幹線、左側に北陸本線が合流し、富山駅に到着。

 富山駅。清潔感のある高架橋の駅にシルバーの大屋根がかかり、カッコいい近代的なビジュアル。ただ正直、福井駅金沢駅と見分けがつきません。同じ時期に作られた駅だと思うのですが、もう少し個性を出せなかったのか。いつか行った北海道の旭川駅なんかは、高架橋に大屋根という同じ組み合わせながら、木目調の温かいデザインが取り入れられていたなぁ、と回顧します。

 階段を降り改札を出ると、目の前は工事中でした。駅北側に電停がある富山ライトレールと、現在、南側から駅高架下の電停に入ってきている市内電車(富山地方鉄道市内軌道線)を1つの線路に繋げようという、大規模な工事が行われているのです。部員たちは市内電車の電停が端にある広めのスペースに荷物を置き、しばしの自由時間。

 さて、南北それぞれ、駅舎から出てみます。まず北側。こちらは富山ライトレールの仮の電停を遠くに望みます。「ライトレール」というのは「LRT(ライトレールトランジット)」と呼称されることも多いですが、小型の車両で、比較的小さい規模で輸送を行う鉄道のこと。富山ライトレールでは、路面電車の車両を使い、富山駅近辺では道路の上を走り、富山駅から離れると、もともとJRの富山港線という路線だったところを流用した線路を走るという運行を行っています。こうした、鉄道路線路面電車への流用は、岡山県を走る吉備線などでも検討されています。使用するのが路面電車の車両ですから1列車当たりの輸送力は低いものの、高頻度の運行が可能で、駅と駅の間隔も短くできるため、路線によっては大きな効果を発揮できるのです。

 駅南側に出てみます。北側よりも栄えている印象。商業施設が並んでいます。一周散歩し、土産屋を覗き、荷物を置いていた場所へ戻りました。

 部員が全員集合し、来るとき通った改札とは別の改札から駅に入り、エスカレーターを登り、ホームドアが設置されたホームに降り立ちます。ここからは2015年、金沢まで新たに開通した新しい新幹線、北陸新幹線に乗車です。

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北陸新幹線。部員たちの視線を一身に受け、富山駅に入線します。

 乗車したはくたか号は、上越妙高までの間は各駅に停まっていきます。車内はそう混雑していません。座席は新幹線としてベーシックなもの。先ほど乗車していた特急、ワイドビューひだの車両と比べると、座り心地は劣ります。普通列車から特急列車に誘導するため、普通車でも車内設備を向上させる必要がある在来線特急列車と、集客は速度の速さで十分であり、さらにその乗客をグリーン車に誘導したいから普通車の車内設備をそう向上させなくても良い新幹線の普通車。在来線特急列車の方が座席の座り心地が良いのも当たり前か、などと考えます。座面は硬いのですが、可動式ヘッドレスト(枕みたいなやつ)が付いているのが良いポイントではあります。

 ……何だか新幹線の悪口言っているみたいなので一応言っておきますが、そんな悪い乗車ではありませんでしたよ。内装は新しい新幹線とあって、座席の鮮やかな赤色を始め、まとまった、明るく清潔感のあるもの。騒音、振動は当然少なく、全座席にコンセントが設置されています。(新幹線の普通車で全席コンセント設置は北陸新幹線が初めてだそう)

 途中日本海を見て喜んだりしつつ、新幹線の旅はすぐに終わります。上越妙高に到着。

 上越妙高駅は、北陸新幹線JR西日本管轄の区間JR東日本管轄の区間の境界駅。とはいえ、乗務員の交代は長野駅で行われるため、見た目はただの途中駅です。1日の乗降客数は2000人強。駅舎は、北陸新幹線開業と同時に建てられたもので、まだ真新しさが残ります。改札の規模が小さくこぢんまりとした印象が強いですが、お土産屋が併設され、明るい雰囲気で新幹線駅らしさは感じられます。

 話を戻します。引き続き駅周辺をちょっと歩き、釜蓋遺跡という遺跡にたどり着きました。勾玉をあしらった看板のもと、釜蓋遺跡公園・釜蓋遺跡ガイダンスという施設があるのですが、時間が遅く閉まっています。その建物を横目に先に進むと、そこに広がっていたのは一面の草原(田んぼだったかもしれませんが)。何の遺跡かというと、弥生時代から古墳時代はじめにかけて栄えた環濠集落だそうです。調べてみると、当時の上越地方で中心的集落だったと言いますから、相当な規模のものだったのでしょう。しかし今となっては、ただの草原です。夕焼けの時間。純粋に、夕焼けの燃えるような色と緑色のコントラストが美しいです。 自由時間が少しあるので駅の外に出てみます。駅は綺麗に整備されているのですが駅前は…… 目立った構造物は、マンション、住宅とコメダ珈琲店だけでした。なんとも寂しい風景だと言わざるを得ません。上越妙高駅は、街が発展していたから新幹線駅を作ったわけではありません。上越妙高駅のルーツは、駅から100メートル程度離れたところにある、旧東日本旅客鉄道JR東日本)・信越本線脇野田駅。味のある木造駅舎のある、1日の乗降客数は100人程度の小さな駅だったそうです。そこに偶然、北陸新幹線が旧信越本線と近くで交差することになりました。そこで、脇野田駅を100メートル程度移転し、新幹線と接続する上越妙高駅として生まれ変わらせることになったのです。ちなみに、その時にこの旧信越本線も、新幹線の線路に沿うように若干ルートの変更が行われています。地図で上越妙高駅の周辺を眺めてみると明らかに、旧信越本線の線路が後から無理やり、新幹線の線路に沿わせるようにルート変更されたのが見て取れます。

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釜蓋遺跡。草原の中、看板の地図を頼りに当時の風景を想像します。

 駅に戻ります。ここから乗車するのは、えちごトキめき鉄道線です。さっきまで再三「旧信越本線」という言葉を使ってきましたが、何が「旧」なのかというと、現在は会社がえちごトキめき鉄道に、路線が妙高はねうまラインに、移管されているからです。1973年に政府が整備計画を決定した▶北海道新幹線東北新幹線(盛岡以北)▶北陸新幹線九州新幹線(鹿児島ルート)▶九州新幹線(長崎ルート)―の5線は整備新幹線と呼ばれ、政府における合意で、それに並行する在来線(いわゆる並行在来線)はJRから経営を分離するとされています。信越本線北陸新幹線並行在来線として、2005年の北陸新幹線開業時にJRから経営分離されたわけです。我々が乗車した車両はET127系というものなのですが、これも元々JR東日本E127系として運行されていた車両を引き継いだものとなっています。

 我々は直江津まで15分だけ乗車。学校帰りの学生で結構な混雑です。薄明のこの時間。田園風景を列車で走り抜けるのは非常に雰囲気が良く、個人的に素晴らしく好きなひと時です。しかしほどなくして直江津に到着。

 直江津では同じホームの向かい側に停車中の快速列車新潟行に乗車。ここからいよいよ初めて、JR東日本の列車に乗車します。乗車率は椅子が全て埋まるか埋まらないかという程度でしょうか。ここから初日の宿泊地、長岡まで約1時間の乗車。鉄研旅行初日も、もう大詰めです。

 そこそこのスピードで飛ばす快速列車。外はもうほとんど真っ暗闇で、海沿いを走っているらしい外の様子も伺えません。しかし、美しい景色や豪華な内装といった、外からの刺激が皆無なこの時間になって初めて、旅行で遠くまで来たということをしみじみと体感し、感動します。小気味良い振動とジョイント音。周りにいるのは日常を過ごす地元の住民ですが、我々は旅行者で、非日常の中にいながらも、その同じ列車の空気に溶け合います。普段と違う空気を吸い、水を飲み、音を聞いている。でもその時間、空間にすんなりと馴染んでいる。その感覚がなんとも、感動的なのです。旅の夜は、何物にも代えがたい、不思議な経験と、その記憶をもたらしてくれます。

 長岡まで1時間。1日の最後だと思うと、1時間なんてあっという間です。朝、大阪駅から始まり、色々なことがありました。1日分の出来事だけで、これだけたくさんのことを吸収し、頭の中に消化し、今、こうしてたくさんのことを思い出しています。こんなに密度の高い旅はこれまで短い人生ですが、それほど無かったと思います。この鉄研旅行記には、部員それぞれが様々に感じ、考えたことが詰まっています。まだ始まりの1日間が終わったばかり。しかし、その「1日間」は、普段の「1日間」とは違います。もしかしたら、一生分の「1日間」と言っても言い過ぎではないかもしれません。その、長い長い

「1日間」が積み重なった、部員各々の鉄研旅行を、この鉄研旅行記で最後までぜひ、追ってみてください。

【文責 高校二年7405】